キレイゴトで犯人予備軍に寄り添おうとすると逆効果になるよ

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朝から痛ましい事件がまた起きましたよね。

連続する車の事故(っていうか殺人ですよね)だけでもみんなウンザリしているのに、ホンマにもう勘弁してくれっていう感じです。

で、そんな中流れてきたこの記事ですが、違和感を感じている人も多いのでは?

川崎殺傷事件「死にたいなら一人で死ぬべき」という非難は控えてほしい

  
違和感までいかなくても、この記事を読んで「なんか薄っぺらいな…」と感じている人はけっこういるのではないかと思います。
 

この記事をザックリ要約すると、

死にたいなら一人で死ねとか言っちゃダメ!それを聞いた犯人予備軍はイラっとして凶行に及ぶから!

ってことなんですが、この記事を読めば読むほど「?」って感じです。
 

あくまでマーケター目線で話をさせていただくと、「犯人予備軍の気持ちに寄り添って未然に事件を防ぎたいんだろうな」というのはわかるんですが、全然寄り添えてないし、理解しようとしていないんですよね。

で、そもそも被害者や遺族の方の感情に寄り添えていないから、こんな支離滅裂で矛盾だらけの薄っぺらい内容になるんですよ。

どう寄り添えていないのか、どう気持ちを理解できていないのかをもう少しわかりやすいように言語化していきますね。
 

その前に…ご遺族の皆様に謹んでお悔やみを申し上げると共に、心より御冥福をお祈り申し上げます。

また、あまり表現は良くないかもしれませんが、今後、凶行に及ぶかも知れない人をわかりやすいように「犯人予備軍」と呼ぶことをご了承ください。
 

ということで本題に入りますが、まずはマーケティングの話から。

そもそも今のタイミングで、犯人や犯人予備軍の気持ちに寄り添うような提言が必要なのかというと、全く必要無いと思います。

そういう意味では、僕が書いているこの反論記事も本来は必要無いでしょう。

なので、「本気で人に気持ちを考えるとは?」というマーケティング的な目線と、本気で再発防止を考えているのだとしたらあまりにも薄っぺらくて稚拙な提言ですよねという、あくまで元記事に対してのツッコミだと理解していただければ。
 

程度は違えど、人は誰しも“意図的に”人に迷惑をかけたことがあると思うんですよ。

グレて親や先生に反抗したり、社会に迷惑をかけたり、わがままを突き通そうとしてみたり、学校や仕事をサボってみたり、感情的になって誰かを傷つけたり。

その行動の原動力となるものが、上記の記事にも書いてある「社会に対する怨恨」「幸せそうな人々への怨恨」だとしたら、優しい言葉は逆効果なんですよね。
 

というのも、何かしら悪さをした時に誰かに諭された経験がある人はわかると思うんですが、指導者は主に次の2パターンのアプローチをしてくるんですよ。

①社会の正しさを説く
②まず共感してくれる

まず、「社会の正しさを説く」人というのは、この記事を書いているような人のアプローチで、要は「社会はあなたを大事にしているし、何かができるかもしれない。社会はあなたの命を軽視していないし、死んでほしいと思っている人間など1人もいない」みたいなキレイゴトで納得させようとする人のことです。

いましたよね。

自分の保身のために、それらしい言葉で丸めこもうとするウザいオッサンやオバサン、いましたよね、いましたよねー。
 

一方、「まず共感してくれる」というのは、「いやー、社会ってホンマ理不尽でウザいよね。クソだよね。オレも〇〇はめっちゃムクつくし。キミはどう?めっちゃムカついてることとかある?」みたいな感じで、自分の体験談も交えながら一緒に共通の敵と戦おうとしてくれる人。

で、その後に、「大概クソやけど、たまにこんな良いこともあるんやで。こういう楽しいこともあるし。試しに一回やってみる?」みたいな感じで、諭すというよりかは一緒に乗り越えようとしてくれるカッコイイ人がいたと思います。

先生しかり、先輩しかり、上司しかり。
 

おそらく、今回のような凶行に及ぶ犯人予備軍に必要なことって、それらしいキレイゴトではなくて、まず「共感」なんですよ。

薄っぺらい思いやりではなく「マーケティング能力」なんですよ。

「社会は何もしてくれないし、誰も他人の人生や命のことなんて気にしていないし、特に幸せな人生を送っているヤツのほとんどは、苦しんでる人間に見向きもしないし手も差し伸べない。」

で、じゃぁ、オレらはどうやって楽しく生きていくよ?ゴミはゴミなりにこうやって生きていけばそれなりに楽しいんじゃねーの?」

くらいの強いメッセージが必要だと思うんですよね。
 

だってね、結論として

人間は原則として、自分が大事にされていなければ、他者を大事に思いやることはできない。

社会全体でこれ以上、凶行が繰り返されないように、他者への言葉の発信や想いの伝え方に注意をいただきたい。

 
って言ってるわけなんですが、

秋葉原無差別殺傷事件など過去の事件でも、被告が述べるのは「社会に対する怨恨」「幸せそうな人々への怨恨」である。

要するに、何らか社会に対する恨みを募らせている場合が多く、「社会は辛い自分に何もしてくれない」という一方的な感情を有している場合がある。

 
とも言っちゃってるわけなんですよ。

これ、言っていることが思いっきり矛盾していることに気づきました?
 

要するに「幸せそうな人々への怨恨」が凶行に向かわすのに、「思いやりのある言葉をかける」って逆効果なんですよ。

なぜなら、「人間は原則として、自分が大事にされていなければ、他者を大事に思いやることはできない」のであれば、「思いやりのある言葉をかける」=「自分が大事にされていることの証明」=「自分は幸せな人間であるというアピール」←「犯人予備軍がこの世で一番嫌いな人種」という構図になるからです。
 

犯人予備軍に寄り添うつもりであれば、めちゃくちゃ考えが浅いんですよ。

もちろん、最終的に思いやりの言葉は必要なのかもしれませんが、最初のアプローチとしてはこの人のような「優等生の机上の空論」は間違っているということです。

一般論とは違う切り口で何となく良いことを言いたいのか知らないですけど、上辺や矛盾ばっかりで、思いやりなんて微塵も感じませんし、こんな薄っぺらい主張では世の中は変えられません。
 

っていうか、これって今提言すべき内容なのか?っていう部分でも甚だ疑問ですよね。

そもそも「同じような悲しい事件が起きないために、皆さんにはこうしてほしい」っていうのは、遺族の方が心から願えるようになって提言できることじゃないですか。

今、犯人や犯人予備軍を優しい言葉で包み込むことなんか求めてないでしょう。

にもかかわらず「死にたいなら一人で死ぬべきという非難は控えてほしい」とか、誰の立場で誰の気持ちに寄り添って言ってんだって話で。

こんな主張、ただ単に自分の主張を世に知らしめたいだけじゃないですか。

そこの部分も含めて、マーケティングってかなり深いところまで相手の気持ちを考えたりすることなので、一度じっくり勉強した方が良いです。
 

PS

ちなみに、引用記事のタイトルのキーワードとなっている「死にたいなら一人で死ぬべき」に関しては、僕はこう思います。

そもそも、人を巻き込んで自分も死ぬという「テロ的なアクション」には大なり小なりの「大義」があると思うんですよ。

そういう意味では「そんなことしてもムダだから一人で死ね」、つまり「そんなことをしても大義は果たされない」ということを表現する言葉には一定の効果がある場合もあるんじゃないかなというのが僕の見解です。 
 

少なくとも、まともな考え方や会話が通じない相手であれば、「迷惑だからやめろ」という意味合いよりもむしろ効果があるかなと。

遺族からしても「いや、勝手に一人で死んでくれよ…」というのがストレートな怒りや呆れの感情だと思うので、それを無理に抑える必要はないかなと思いますね。

これは、あくまで僕の個人的な意見として。


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