信用経済の胡散臭さ

評価経済や信用経済に関しての「いや、それおかしいやろ」っていう記事は、けっこう前に書いたんですよね。
で、最近、デザインプラス(TCDのテーマをつくっている会社)の中田さんのメルマガがまた違った視点でおもしろかったので、自分のメモもかねて残しておこうかなと。
■評価経済は本当に来るのか?
「評価経済」という言葉を耳にしたことはありますか?
巷では信用経済とも言いますね。
お金を中心とした貨幣経済は終わり、これからは信用を元にした評価経済がはじまる、という説だそうです。
簡単に言うと、信用がある人はお金を稼げるということですね。
で、私がこれを最初に知った時、胡散臭いなと思ったわけです。
まず、1つ端的な事実を述べると、信用があるからお金が集まるよりもお金があるから信用ができる側面の方が強いからです。
例えば、経営が上手くいっている社長の発言には説得力があるものです。
ゾゾタウンの前澤社長の発言が意味不明でもそうなのかなと思ってしまう人が一定数いるわけですよね。
逆に会社が倒産したらどうなるかという話ですね。
あと、こんな意見も耳にします。
信用があればツイッターで晩飯奢ってくださいとつぶやけば誰かが奢ってくれるから、お金なんてなくても生きていけるんです、と。
奢ってくれる人を探すのは難しくないですが、継続的にそれだけで生活できる人は稀ですよね。
晩飯を奢ってくれる人はその人の話が聞きたいわけです。
なぜ話を聞きたいのか。
その人が影響力があるからです。
つまり、「稼ぐ力がある人」なんですよね。
無一文の人が晩飯や宿泊を懇願したらどうなるかという話ですね。
「冷たい」とかそういうことではなくて、そういうものなわけです。
旦那さんが生活費を入れてくれかなったら奥さんはいつかは見限るでしょう。
「この人は信用できるから無収入でもいいや」とはならない。そういう話です。
信用とお金を綺麗に切り分けるのは難しいというか無理なんですね。
私はそれよりもお金を効果的に搾取する為の方便として「信用経済」というワードを利用する風潮の方が気になりますね。
出典:デザインプラスメルマガ
まぁ、そもそも能力が無ければ信用されないし、仮に特殊な能力や才能があったとしても、それをビジネスに転換できたりマネタイズできない人は信用されないってことですよね。
良い人だから信用できる。
で、良い人を演じていれば信用が貯まっていって、いざという時にその信用貯金がお金に換わる、誰かが奢ってくれる、なんてことは無いわけで。
結局、「信用を得るためにGIVEしろ」を真に受けて無償でがんばるのは、ブラック企業の社員と変わらないわけです。
オンラインサロンとかでも無償で働かされている人いっぱいいるじゃないですか。
「お金を払えば振り向いてもらえる」
「見返りを求めずに働いたら認めてもらえる」
みたいな、かなりヤバいマインドの人がサロンに集まりますよね。
まさに搾取のシステムです。
まずは能力をつけて、お金を稼ぎましょう。
それができてはじめて、まともな人からまともに信用されるわけですから。