Polca乞食への正しい反応の仕方

昨日からギックリ首的なものになりまして、1.5日ほど寝たきり状態だったんですがやっと復活しましたハットリ(@FACTDEAL)です。

なんか長文を書きたいなと思い、ネタがないかとTwitterサーフィンをしていたところ、引き続き「Polca乞食論争」が勃発していたので、これについてサラッと僕の考えを。
 

Polca乞食問題はずーっとありまよね。

価値観的な部分で批判が起きるのは、基本的には「ヒモ」を許せるかどうかの話と共通するような気がするんですよね。
 

ヒモとは

自らは働かず、女子を自分の魅力で惹きつけて経済的に女子に頼る、あるいは女子を人材供出して収入源とする収入源とする男性のことを指す。

男女の年齢の上下や年齢差は関係ない。また、女子がそうする理由も特に関係ない。以前は女子が「精神的・肉体的に離れたくない」といったものが貢ぐ理由として多かったが、女子の経済的自立とともに「家事をしてくれて便利な男だから養っている」といったものも増えている。これらはどちらもヒモにあたるが、婚姻関係にある場合は女子の稼ぎで生活していてもヒモとは呼ばない( → 専業主夫)。
また、ヒモに貢いだり、ヒモを養っている女子を「ヒモ付き」という。

ピクシブ百科事典

 
基本的には、お金が欲しい人がいて、お金をあげたい人がいて、それで実際に金銭の授受が発生することによってお互いに幸せになれるのであれば別に良いんじゃないかと。

お金の対価として、目に見えるような確たるリターンがなかったとしても、お金をあげることで精神的なつながりを感じたり、相手の一部になれているような快感を得られているのであれば、それはそれでありなんじゃないかなと思うわけです。

まぁ、僕らにはわからない、お金をあげたいと思うような魅力がその人にあるんでしょうしね。
 

この「ヒモ」という根本的な価値観を受け入れたり理解することができなければ、Pocla乞食を理解することは難しいですよね。

それって、

①お金は数ある価値のうちの1つであるということを受け入れられない
②支援者が得ているリターンを理解できない(理解しようとしない)

 
ということなので、Polca乞食を見るたびに、脊髄反射的に批判してしまうことになります。
 

いや、僕も今までゴリゴリに批判していた側なので、過去の発言を無かったことにして急に良い人ぶるつもりとかは全くなくて。

 
少し前まではありえないと思っていましたし、スゲー口悪くdisってた時もあったんですが、いろいろ理解力が足りなかったなと思ってアップデートしたわけですよw

というか、見るべきポイントはそこじゃないなと思いまして。

①お金は数ある価値のうちの1つであるということを受け入れられない

他人の恋愛って興味あります?

おそらくほとんどの人は、別に誰と誰が付き合おうがどうでも良いですよね。

周りがどう思おうが、例えば、友達で「え?そこいっちゃうの?」みたいなことがあっても、当人同士が提供し合っている価値があるんでしょうし、それを否定する権利は誰にもないわけです。
 

でもなぜか、そこにヒモのようにお金が絡んでくると、一気にみんなの目の色が変わって「え?お金で成立してる関係ってどうなん?」というふうになるわけですね。

需要と供給は成立しているはずですし、一方が提供する価値がたまたまお金だっただけなのに。 

同じように、Polcaを見て不快になってしまう理由の1つは、一方の提供する価値がたまたまお金であるという感覚を理解できないからです。
 

あと、価値がお金になると一気に可視化されてしまうというのもありますね。

目に見えなければ何も思わないんですが、明確に見えてしまうばかりに「こんなヤツがこんなプロジェクトでこんな金額が集まるのは…」となるわけです。

集まるのがバナナ10万本とかであれば何とも思わないんでしょうけど、「お金は労働の対価」という固定観念や「皆が認める価値を提示しなければお金をもらってはいけない」という固定観念が不快感を呼び起こすのでしょう。

②支援者が得ているリターンを理解できない(理解しようとしない)

もう1つはこれですね。

お金を払うことによって得られるリターンの価値が見えなかったり、価値を感じることができなかったりすると、脊髄反射的に批判してしまうのかなと。
 

人は、理解できないものには、不快感や恐怖心を抱いたりするものですからね。

ヒモに不快感を抱くのも、「なんで働かないクソ男に貢ぐの?バカじゃないの?」みたいな感じで、彼らの世界観や価値観を理解できないからじゃないですか。

でも、本人たちはそれで至極幸せだったりするわけです。

Polcaに限らず、クラファンでも「サシ飲みができる権利」みたいな、一部の人が理解できないリターンは叩かれたりすると思うんですが、それも結局、「しょうもないリターンだな!オマエとのサシ飲みなんて価値ねーんだよ!」っていう人なわけで。 
 

僕も以前はそうだったんですけど、脊髄反射的にPolca乞食を批判してしまう人は、Polca実施者にばかりフォーカスしてしまっていて、投げ銭をしている人の気持ちのことは考えていないし、考えられていないと思うんですね。

だって、投げ銭をしている人が

「〇〇さんにお金を使ってもらえることが僕の生き甲斐だし、最高に幸せだし、最高の快感なんです!これをしないと生きていけないんですよ!」

って言ってたら、そのPolcaのプロジェクト責めます?

理解はできないし、気持ち悪いと思うかもしれませんけど、「あー…そうなんですね…何か悪く言ってしまってごめんなさいね…」ってなると思うんですよw

Polca乞食に集まる人

まぁ、僕は誰かのためのお金を集める用途でPolcaをしたことはありますが、自分の何かを買うためにPolcaはしませんけどね。

なぜなら、僕のお客さんになってほしい人や僕が一緒に仕事がしたい人は、お金を払って満足したり気持ち良くなったりする人ではなく、価値を提供してお金をもらう側であってほしいと思っているからです。

僕のビジネス観、付き合いたい人の価値観がそうだというだけなので、別に押し付けるつもりもなく。
 

今まで話してきた通り、応援したい魅力的な人がいて、その人が何かを買いたい時に投げ銭をするのはありだと思います。

投げ銭する人が、対価として幸せや快感を感じているのであれば。

そして、そこに集まってくるそういった層が、自分が一緒にビジネスをしたい人、将来お客さんになってほしい人、仲良くなりたい人であれば…ですが。
 

何が言いたいかというと、

Polca乞食になるのはかまわんが、そんなことばっかりしてると依存体質のわけかわらんアホな客もわんさか集まってくるから覚悟してやれよ!、ということです。
 

お金を払った人は少なからずリターンを求め出すんですよ。

で、リターンに納得がいかないと「あなたのためにこんなにお金を貢いだのに…」とか言い出して、どんどんヤバい方向に向かっていきます。

下手したらアイドルのストーカーになる人みたいに、「お金払って応援してるのにツイートの返信を無視される…」 とか言い出すくらい拗らせていく人も出てきますからね。
 

たかだか数万円を得るために、今、そして将来において何を失う可能性があるか。

そこまで考えて、覚悟を決めた上で「新しいMacBook買いたい!」とか言ってPolca乞食をやるなら良いんじゃないですかね。
 

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